対話答えないという答え

こんにちは。

大阪南船場の早起き税理士公認会計士船戸明の

本業ブログにようこそ。

先日、ネットで出会った話から

ある方が小学校4年生の時、担任の先生がクラスの全員にこんな質問をしたそうです。

とても仲良しな友達がいます。しかしその友達は遠方に引っ越すことが決まりました。二人は文通する約束をして別れます。間もなく、最初の手紙が届きました。その手紙は切手の料金が足りなかった。不足分は受け取ったあなたが支払いました。そのことについてあなたは少しがっかりして怒ります。さて、切手の料金が足りてなかったことを返信の手紙に書きますか?

皆さんなら、どうされますか?

クラスの全員が何らかの形で書いて知らせると答える中、唯一書かないと答えたのは担任の先生。でも、先生は最後までなんで書かない派なのか理由を話してはくれなかった。そしてモヤモヤした私は、いろんな人にどうするか聞いてみたい衝動にかられた。

続きは、ご興味あれば本文をご覧いただくとして、この先生の態度こそ、教育とは何かを物語っているように感じました。

理由を話さない。

そのことで、子どもにモヤモヤを残す。

そのモヤモヤを解決したいという衝動を起動させる。

これこそ教育的効果ではないでしょうか。

内田樹先生は、若者よ、マルクスを読もうかもがわ出版の中で、こんなことをおっしゃっています。

マルクスはぼくを檻から出してくれるわけではありません。そうではなくて、ぼくが檻の中に幽閉されているということを教えてくれる。自分が幽閉されていることに気づかない限り、そこから出る手立てを工夫するという作業は始まりません。

マルクスはぼくの問題を解決してくれない。けれども、マルクスを読むとぼくは自分の問題を自分の手で解決しなければならないということがわかる。

これがマルクスの教育的なところだとぼくは思っています。

先日も経営者の方と話をしていて、どう思う?、と聞かれて、うまい答えが見つかりませんでした。どうなんでしょうねえ、ムニャムニャムニャ、でもウルトラはありませんよね、なんて取り留めのない話をしていました。

道徳の先生やマルクスと違い、答えなかったのではなく答えられなかっただけですが、その後、経営者の方からは頭の整理ができましたとメールをいただきました。

答えないことが、答えになることもある。

そんなことを実感したやりとりでした。

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