文化学院のこと

 与謝野馨氏が亡くなられた。心よりお悔やみ申し上げたい。与謝野氏は消費税による財政健全化を旗印にした政策通で知られたが、晩年は政治に翻弄され、政治通にはなれなかった。10年ほど前、与謝野氏がまだ文化学院の理事(あるいは院長)の時に卒業式で挨拶される姿を見たのが最後だった。

 それは私にも初めての卒業式出席だった。15年ほど文化学院で教えていたが、学校が再編され、古い文化学院の最後の卒業式だったのだ。大正デモクラシーを標榜したハイカラな文化学院創始者与謝野鉄幹・晶子夫妻ら。馨氏は彼らの孫である。今は古い校舎もなくなってしまったが、それは立派な中庭をもち、お茶の水の坂上にあり、下に明治大学、横に駿台予備校が並んでいた。与謝野晶子は無類の温泉好きで、赤倉温泉にも何度も逗留し、歌を詠んでいる。

 確かに文学や美術が好きな学生が多かったが、どの学生にも個性があり、大学の秀才とはまるで違っていた。反骨精神のゆえか、文化学院は大学にはならず、ずっと専門学校を貫いた。女優の故長岡輝子や映画監督の山田洋二が長年教えており、自由な雰囲気に溢れていた。

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