江戸時代からの警告

安政元年(1854)11月4日・5日に発生した地震と、それに伴う津波によって犠牲となった人々の慰霊と、後世への戒めを語り継ぐことを目的として長堀茂左衛門町(ながほりもざえもんちょう)の森氏が発起し、長堀茂左衛門町の家中と石碑の建つ幸町の人々が協力して建てた石碑である。

 碑文には、地震の後船に避難した人が津波によって大きな被害を受けたこと、148年前の宝永地震でも同じことがあり、教訓を生かすことができなかったことが書かれている。

 そして、年月がたてば伝え聞く人は稀となり、忘れ去られてしまうが、今後はこのようなことがないよう、災害を後世に語り継いで欲しいと結んでいる。

 記念碑保存運営委員会では、毎年地蔵盆にあわせて石碑を洗い、刻まれた文字に墨を入れるのが年中行事となっている。

 建碑の精神が、150年以上受け継がれている意味においても稀有な例である。

地震両川口津浪記石碑(だいじしんりょうかわぐちつなみきせきひ)

大阪市浪速区幸町3、大正橋のたもと、大正駅が最寄り駅