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黒歴史をさらす

 なんだか薄暗い気分が払拭できない。雨と曇りが続いていてだるいせいだろうか。

 思い立ってセブンイレブンで知らない日本の地ビールを5種類買ってきた。500元近くふっとんだ。200元ちょっとかなって思ってた。

 先日まで読んでいた『謡曲選集』では、源義経が出てくる曲が2つあった。私は読んでいて驚いた。どちらの話も義経は子役が演じている。「舟弁慶」「安宅」どちらも義経が成人して平家を滅ぼした後の話だ。成人していなければおかしい。

 でも、確かに義経老いのイメージはない。源義経は人々のイメージの中で、いつでも若々しくしなやかで、ともすれば牛若丸のように無邪気さを残してさえいる気がする。

 そんなことを考えていると、自分が高校生の頃に考えていた小説のネタを思い出す。高校生とかもう本当に黒歴史で、悪魔か神にもう一度10代に戻してやると言われても断固として戻る気はない。そんな頃に授業中、考えていた義経の話がある。

 舞台は2か所。

 最初の舞台は奥州から北海道のどこかの森で、義経を追いかけてきた静御前がぜいぜいと進んでいる。義経が逃げたと聞いて、あきらめきれずに追いかけてきた静御前が、ふと小川で水を飲もうとかがんだ時、水面に写る自分の顔を見る。男に捨てられ、子供を殺され、頼る人もないまま鎌倉から東北まで歩いてきた静の顔は、苦労のためにやつれきっている。

 これが私?都で豫州の思い者として愛でられた静御前が、こんな老婆のような姿になって、まだ豫州に会おうとてか。

 ショックに固まっていると、背後から「静」と呼ばれた。懐かしい声だった。源義経が己を追って苦労する静を哀れに思って亡霊となり声をかけたのだ。一番見られたくない姿を見られたくない相手に見られそうになった静はそのまま川に身を投げ、なんとしても義経に顔を見せず水底に沈んでしまう。

 次の舞台は鎌倉で、月光が明るいのにどこか不気味な夜を、源頼朝が屋敷の戸を閉め切って遮断している。そこに外の廊下を歩いてくる子供の足音がして、怪しんでいると、「兄上」。死んだ舎弟の声がする。さては怨霊が出たかとおびえる頼朝に、義経は死ねば関も用をなさない、われらを隔てるものは生死のみ、と戸も壁も無意味なことを告げながら、戸を隔てたまま恨み、嘆きを語り、返事がほしいと戸にすがる。

 やがて夜が明けるころ、義経の声はか細くなり、朝の光とともに消えていく。

 という、高校生にしては枯れきっていて思い出すだに薄暗い話だった。アクションどころか場面が2つしかなく、登場人物も3人しかいない。

 昨日、ふとこの話を思い出して「場面が2つ、登場人物が3人。これじゃ、まるで能」とショックを受けていた。

 別に前半のテーマは「美しさは罪」ではない。人間は誰かの決めたイメージから逃れられないというテーマで、静は「美しい義経の妾」というイメージから外れた自分が受け入れられない。美しいが義経に係るか静に係るかについてはどっちでもいい。頼朝のもとに現れた義経も牛若丸の姿で、世間の若々しいイメージから逃れられていない。静が自分のせいで死んだことも語り、兄弟らしく苦しい胸の内を兄に聞いてもらいたがる。兄はであった頃の頼もしい弟のことを思い出すが、自分の罪が恐ろしくて相手を信じ切れずに最後まで戸を開けない。頼朝も弟を信用できない人物像から逃れられない。

 そんな観客目線から構成するキャラ付けをテーマにした話だった。

 暗い。

 でも頼朝のイメージが自分の中ではっきりしなかったのでなんとなく後半が弱いまま心のお蔵入りになっていた。これからもなっていることだろう。