読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

最新の論文の予告編です。来週早々に刷り上がります。

公案しての「夢應の鯉魚」

東京都町田市某所。

急な坂を上るほどに珠の汗が額に噴く、ある夏の暑くて妙に暗い午後であった。

李青平老師の直筆の警告。

「学而不悟 守旧不成」

(もしもお前たちが、勉強しても悟らないで、古いものを守るだけなら、お前たちの勉強には、何の意味もない)

李青平老師の額の文字が見守るように掲げられている座敷で、筆者は、円山応挙直系の四条円山派の継承者櫛谷純園夫妻と杯を重ねた。流派の口伝から、アニメーションの原理は、実は江戸中期に日本に存在したことが確認されていく…

我らは、映像の断片の連鎖に、つい、因果関係をみとってしまうが、

あるかないかわからぬ来世と、今生きているこの世との関係も同じである。

因果関係をみとることは、我ら凡俗の業である。

上田秋成が、道元正法眼蔵』を踏まえてなした冷徹な警告を読み取った、「夢應の鯉魚」の新解釈、

正法眼蔵』「夢中説夢」の画期的な新解釈でもある論文。

ただいま、完成!

【 …紙繭の鯉がまるで泳ぎ出したかのように見える、アニメーションの原理もまた、バラバラの切れでしかない絵の連続につながりをみとらせる虚妄の業である。それは、夢と現実の相関関係をみてとったり、我らが生きる実相としての人生と、あるかあらぬかわからぬ来世との相関関係を期待し、ついみてとってしまうわれら人間の業とまさしく同じ構造(gestalt)をなしているというべきであろう。「貧福論」は、「おのれ善をなして。おのれその報ひの來るを待は直きこゝろにもあらずかし。」と警告している。善行の報いを期待する凡夫の心はまことに浅ましい。

「夢應の鯉魚」は、「これでも、お前は放生の利益をこの説話に見て取るのか。」という公案として、我々の喉下に鋭く突き付けられているのだ。 】