あなたの内側の男性と女性が出会う日、あなたは光明を得る。

あなたの内側の男性と女性が出会う日、あなたは光明を得る。

osho

一緒になって、前向きに進んでゆく男性と女性は、ひとつの全体になる。

本当のカップルは・・本当のカップルはごくわずかしかいない・・

お互いが相手とポジティブなやり方で結びついている。

99%のカップルは否定的な形で結びついている。

世界にこれほどの惨めさがあるのは、その為だ。

繰り返そう・・男性は男性的、女性は女性的であるべきだが、

肯定的な形でそうあるべきだ。

そうなれば共にあることは瞑想になり、共にあることは

本当に素晴らしい冒険になる。

共にあることは、日々新たな驚きをもたらす。

生は、これらふたつの極の間のダンスになり、

彼らは互いに助け合い、互いに滋養を与え合う。

男だけでは、あまり遠くに行くことは出来ないし、

女だけでは、単にエネルギーの貯水池としてあるだけで、

如何なるダイナミックな動きも生まれて来ない。

ふたりが一緒になった時、彼らはお互いに補い合うようになる。

どちらかが一方よりも高い訳ではない。

相互補足とは、どちらかが高いとか低いということでは決してなく、

彼らは同等であるということだ。

男が高い訳でも女が高い訳でもなく、彼らは互いに補い合っている。

一緒になって初めて全体(ホール)になり、

別々であればどちらにも可能ではなかった、

聖性(ホリーネス)を創り出すことが出来る。

イエスや仏陀が、クリシュナほど豊かではないように見えるのは

その為であり、それは彼らが独身であるからだ。

クリシュナはもっとトータルだ。

その為にインドでは、クリシュナは完璧なアヴァタール

完璧な神の化身と考えられている。

仏陀は部分的と見なされているし、

マハヴィーラも神の部分的な化身と見なされているし、

イエスもそう見なされている。

      クリシュナの中には、全体的な何かがある。

それからもうひとつ。もしそれが、単に男性と女性の

外面的な出会いに過ぎないなら、

それにはそれほどの重要性はなかっただろう。

それはまた、それぞれの男性と女性の存在の深みでの出会いでもあって、

何故なら、男はみな内側では女でもあるし、

女はみな内側では男でもあるからだ。

外側で相手と出会って溶け合うことは、本当はこの内なる

出会いを準備する為のレッスン、実験に過ぎない。

人間はみな、男と女から生まれて来る。

あなたの半分は父親から来ているし、あなたの半分は母親から来ている。

あなたは対極にかけ離れたものの出会いだ。

現代の心理学、特にユング派の心理学は、この男性も女性も

両性的だという考え方を受け容れて、それに基盤を置いている。

あなたの意識的なマインドが男性のものなら、

あなたの無意識は女性的であり、その逆も言える。

だが、この内なる出会いを起こらせることは、

内なるものは目に見えないから、最初の内は難しい。

まず最初は、目に見えるところからレッスンをしなくてはならない。

この出会いとはどのようなものなのか、

その体験をいくらかは得ることが出来るように、

外側の男性と出会い、外側の女性と出会うがいい。

そうすれば、少しずつ徐々に内側を探して、

そこに同じ極性を見つけることが出来るようになる。

   内側の男性と女性が出会う日、あなたは光明を得る。

その日は大いなる祝祭の日になる・・

あなたにとってだけでなく、全存在にとっても。

ひとりの人が再び戻って来たのだ。

無数の数えられないほどの存在の中から、ただひとりの人が到着した。

仏陀が光明を得た時、天から花々が降り注いだと言われている。

そういった話は歴史的な事実ではなく、

詩的な表現なのだが、この上もなく重要な意味がある。

全存在が踊ったに違いないし、歌ったに違いないし、

無数の花々を降り注がせたに違いない。

    何故なら、それは稀な現象だったからだ。

闇の中を手探りしていた魂が、突如として統合されて、

バラバラになっていた魂が結晶化された。

ひとりの人間が神になった。

これは祝い喜ぶべきことだ。

それは全存在にとっての祝福なのだ。