教育勅語よりももっと大事なことがあるやろ

教育の本質は個人の資質を伸ばすことにある筈やぞ。

それを国家主義な「教育勅語」によって画一化しようというのはあまりに無茶苦茶すぎる。

各個人得手不得手があって、特にHAPDD(高機能広汎性発達障害)とかADHD(注意欠陥)とかもある訳やから、そういう児童生徒でも十分理解し得るような教育をしていかなあかん。

もし、クラスの中でHAPDDの子供が一人だけおって教育勅語を教え込んだりしたらどないなるか?

ま、周りが良ぉ言われる「右の耳から入ってそのまま左の耳から抜けていく」というパターンの子供ばっかりやったら特に問題はないかも知れんけど、そうでなかったらいじめに遭う可能性もあるし、本人がそれを気にし過ぎて鬱病になる可能性すらある。

そういう時代遅れの鼻つまみもん(今から約140年前の教育方針)を教材にするよりも各児童生徒の個人としての人格や尊厳を重視した教育を進める必要がある。

という訳で69年前の国会決議を正とする考えに賛同するとともにそれよりも一歩進んで「個人の尊厳」とかも教育に盛り込んでいくよう切に願う。

教育勅語活用に野党反発=「国会決議違反」と抗議

(時事通信社 - 04月04日 17:01)