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5月24日

東京の虎ノ門ヒルズで、農業×テクノロジーのイベント「AG/SUMアグリテック・サミット」が開催され、そこに東京農業大学が日本酒のブースを出展し、日替わりで毎日9蔵のお酒を味わっていただくイベントがスタートしました。23日から25日までの3日間、東京農大卒業のOBの蔵元のお酒を中心に味わう事が出来ます。このサミットに参加する企業だけが味わえるということで、広く一般に開放されているわけではありませんが、外国人が多く、多くの方に南部美人を楽しんでいただきました。

小菅村〜檜原村 村をドライブ

22日の月曜日は久しぶりのお休みで、相方も用事無し。

しばらく車も動かしていないし、ドライブに行きました。

最初は栃木の『新生姜ミュージアム』へ行きたいと相方が言っていたんだけど、月曜が休みだったので御岳山へ行く事にしました。

前に行った時に買った生姜の味噌漬けが切れていたので。

ま、結局は生姜です。

青梅街道を西へ走り、途中で吉野街道に入って御岳山のケーブルカー乗り場の駐車場へ。

滝本駅からケーブルカーで御岳山駅へ6分ほどの行程。

平日なのに小学生が多いですね。

そんで歩いて駒鳥茶屋へ。

暑い日だったけど、山の上は爽やか。

山の空気を堪能しながら茶屋へ到着。

ここのカツ丼が楽しみだったんだけど、ご飯が売り切れ。

二人とも蕎麦を食べました。

相方はとろろざる蕎麦、僕は山菜ざる蕎麦。

美味しかった。

お目当ての生姜の味噌漬けを2パック買いました。

茶屋の目の前の神代欅、相変わらず迫力あり、小鳥がたくさん枝に潜んでいます。

ケーブルカーで山を下りて、さらに山の方へ。

奥多摩湖へと向いました。

奥多摩湖では特に停まらず、どんどん西へと向います。

周遊道路を回って檜原村に向うつもりでしたが、どうも途中で曲がり損ねたのかいつの間にやら山梨県に入る。

小菅村、そんな村があったのか。

道の駅があったので、そちらで休憩。

22日だってのに、なぜか鯉のぼりがズラリと風にたなびいている。

ここは山女魚が売りのようで、この日は営業していなかったけど山女魚の稚魚の唐揚げの売店もある。

売店で美味しそうなクレソンを買いました。

檜原村方面へ向う“上野原 丹波山線”という山道を走る。

滅多に車とすれ違わない。

窓を開けて走るのが気持ちいい。

上野原市に入りましたが、中央本線で行った上野原駅前とは全然違い、山の上の農村って感じ。

たくさんの花が咲いてますね。

時間があったら散歩したい。

でもすでに夕方近いので、桧原村へ走ります。

桧原村に入るも、売店などは閉まっている。

17時過ぎていますから。

前回は行かなかった“払沢の滝”へ行ってみましょう。

駐車場に車を停めて案内板に従って川を上ってみたけど、どこまで行けば滝なのかよく分からない。

なので途中で引き返す。

滝の入り口に小さなお稲荷様の祠があって、そこの街灯がレトロで可愛かった。

武蔵五日市駅前を通り過ぎ、三鷹へと向う。

時間も時間なので、どこか大きくて都心ではあまり見かけないスーパーで晩ご飯を買う事にした。

あきる野の『TAIRAYA』に入ってみる。

広い店内にたくさんの商品。

たいめいけんとのコラボ弁当があって、ハンバーグとクリームコロッケが美味しそうだったので、それを二つ購入。

ここは牛肉がアメリカ産とか豪州産メインでいいですね。

豪州産の牛モモ肉のステーキ用を買う。

美味しそうなトマトも買う。

三鷹に帰ったのは20時近く。

大嶋酒場で飲みました。

翌23日の晩ご飯に牛モモ肉を塩胡椒でソテーして、ちぎったクレソンを敷いた上に乗せて食べたけど美味しかったな。

ちなみにトマトはカビが生えていたので廃棄となった。

CD届く!

吉川友 11thシングル

「さよならスタンダード/アンバランス アンバランス」

が届いてました。

あぁ、あんとき買ったヤツか!(いつだよ?)

最近は、CDを取りに行くのがめんどくさいので、必ず送料込みにしちゃってます。

LSEMで使う機会はそうそうないでしょうけど(笑)、今年もシングルが発売できたことを嬉しく思います。

おめでとうございました。

17/05/23 みっしょん こんぷりー

 始業が遅かったものの、てっぺん前に帰宅。

 修羅場の残りは週末に持ち越し。今週さえ乗り切れば、だいぶ楽になる筈!

 作家先生が明日早朝からフーゴルなので、玉稿は自分が賜り……明日の朝一番に空輸外車に届けるわけだがっ。

 以前だと、封筒に入れた原稿はリア箱にはギリギリ入らず、折り曲がらないように注意しながら大きめのメッセンジャーバッグに入れて背中に担いで運んでたんだけど……雨の日とかはどうしようもなくてね〜。

 こういう雑事なんて年に数回しか無いんだけど、密かにメッセンジャーバッグを防水仕様のに買い替えたりしてたりしてね。4輪車を持って無いからさぁ〜 orz

 さて、今春から愛車をハトメにしてから、実はリアボックスも一回り大きくしたのね。ちなみに前のは33リットルで、今のが40リットル。

 コレがまた、恐ろしくピッタリでね。ほんの数センチの差なんだけど、キチンと受け取った玉稿が収まりましたっ! やったぜ!!

※参考までに、原稿は角型0号サイズの大きい封筒に入れて送るので……確か287mm x 382mm。

 ちなみに手前のは、本屋で貰った大き目のJSDFカレンダー。余裕で入るぜ!

【伝説のギャルゲー「To Heart」発売から今日で20周年 時の流れに多くのファンから感動と悲鳴が】

反省せぬ大手マスコミ・野党と往時のソ連のスパイ活動の歴史

大手マスコミや民進党共産党などの野党は「共謀罪」法案に反対していますが、日本の外からの工作活動などは存在するのが当たり前で、それらに対する事が現行法だけでできるかのように言いますが、でしたら、1982年のレフチェンコ事件で明らかになった。日本に対する工作に日本は対処できていたのでしょうか。

レフチェンコ事件とは、「ソ連国家保安委員会(KGB)の少佐、スタニスラフ・レフチェンコによる日本国内での工作活動が暴露された事件。レフチェンコは1982年7月14日に米下院情報特別委員会の秘密聴聞会で工作活動を暴露。国内外に大きな衝撃を与えた。」という事件ですが、レフチェンコ氏が自ら暴露したので明らかになった工作で、日本政府機関が突き止めた事件ではありません。

大手マスコミや野党は自分たちがこうした日本の安全保障に大穴を開けていた歴史を全く反省することなく議論していると私は考えます。

こうした歴史をマスコミは報道する義務を果たしていないのです。

下記レフチェンコ事件の詳細です。

レフチェンコ事件

移動先: 案内、 検索

レフチェンコ事件(レフチェンコじけん)とは、ソ連国家保安委員会(KGB)の少佐、スタニスラフ・レフチェンコによる日本国内での工作活動が暴露された事件。レフチェンコは1982年7月14日に米下院情報特別委員会の秘密聴聞会で工作活動を暴露。国内外に大きな衝撃を与えた。

目次 [非表示]

1 経緯 1.1 亡命

1.2 暴露

2 証言内容 2.1 レフチェンコの活動

2.2 エージェント

2.3 レフチェンコのエージェント

2.4 積極工作

2.5 指摘

2.6 日本の捜査

3 ソ連の対応

4 脚注 4.1 注釈

4.2 出典

5 関連項目

6 外部リンク

7 関連文献

経緯[編集]

亡命[編集]

レフチェンコモスクワ大学東洋学研究所卒業後、漁業研究所を経てKGB入り。日本語課程などを経て1975年2月にKGB東京代表部に赴任。カバーの役職はソ連の国際問題週刊誌ノーボエ・ブレーミャの東京特派員であった。KGB東京代表部ではPR班員として積極工作に従事し、亡命直前はPR班長代理として5人の要員を使っていた。

1979年10月24日にアメリカに政治亡命した。夫人を東京に、子供一人をソ連に残したままだった。

「スタニスラフ・レフチェンコ」を参照

暴露[編集]

1982年7月14日に米下院情報特別委員会(エドワード・ボーランド委員長)の秘密聴聞会で、対日積極工作を暴露した。その証言内容は同年12月2日に日本国内に伝えられ、同月9日に情報特別委の報告書「ソ連の積極工作」として関係資料と共に公表された。また、同年12月10日にはレフチェンコ自身がワシントンで記者会見をしたほか、アメリカのKGB研究家でリーダーズ・ダイジェスト編集委員ジョン・バロン記者により、同証言をもとに「今日のKGB―隠された魔手」が1983年5月に出版された。

レフチェンコは1981年8月に行われたソ連軍事裁判所での欠席裁判で重反逆罪による死刑を宣告されたが、1989年にアメリカ国籍を取得している。

証言内容[編集]

レフチェンコの活動[編集]

レフチェンコが在日中に担当したのは積極工作部門。政界や財界、マスコミ関係者と接触し、日本の世論や政策が親ソ的なものになるように仕向けた。また、最終的には日米関係を損なわせることも目的とされた。

エージェント[編集]

KGB内部では積極工作の協力者のことを「エージェント」と呼び、以下4つの分類があった。レフチェンコの東京駐在時代には少なくとも200人の日本人がKGBエージェントとされていた。

リアル・エージェント完全にKGBのコントロール下にある人物。トラステッド・コンタクト「信頼すべき人物」。政界、財界、学会、マスコミに影響力を持ち、KGBに協力していることを承知で各種情報をソ連側に提供したり、国内に逆情報を流す人物。フレンドリー・コンタクト「友好的人物」。現段階では本格的な協力者ではないが、ジャーナリストやビジネスマンを装うKGB将校と友人関係にある人物。デベロビング・コンタクト「脈のある人物」。KGBが何回か接触した結果、有望と判断した人物。

レフチェンコのエージェント[編集]

レフチェンコは10人前後の日本人をエージェントとして直接操り、代価も支払っていた。そのエージェントとして実名の9人を含め計33人のコード名を明らかにした。実名を挙げてエージェントとされたのは、「フーバー」の石田博英元労相、「ギャバー」の勝間田清一社会党委員長、「グレース」の伊藤茂、「ウラノフ」の上田卓三社会党代議士、「カント」の山根卓二サンケイ新聞編集局次長など9人(肩書きはいずれも1979年当時)。この9人の日本人はいずれも「事実無根」「身に覚えがない」などと疑惑を否定した。コード名だけのエージェントのなかには、マスコミ関係者や大学教授、財界の実力者、外務省職員や内閣情報調査室関係者などが含まれていた[注 1]。また、エージェントと接触するKGB側の工作員として、イワン・コワレンコ元KGB中佐・当時ソ連共産党中央委国際部次長、イェローヒン、グリヤノフ両KGB東京駐在部長(1975〜79年当時)ら8人の名前を挙げた。

積極工作[編集]

レフチェンコは具体的な積極工作の例をいくつか挙げた。

1976年1月の周恩来中国首相の死亡後にサンケイ新聞が同月23日付朝刊「今日のレポート」欄で、ある筋の情報として紹介した周首相の遺言とされる文書がKGBの工作だった。

外務省の「ナザール」「レンゴー」が秘密公電のコピーなどを大量に提供していた。

公安関係者の「シュバイク」がマスコミ関係者の「アレス」を通じて公安情報を流していた。

指摘[編集]

レフチェンコは証言の中で、「日本人の大半がソ連の対日諜報謀略工作の実態や目的について驚くほど無頓着。KGBによる対日工作は執拗かつ周到に行われている。日本には防諜法も国家機密保護法もないため、政府が外国諜報機関の活動に効果的に対処できず、日本人協力者に対して打つ手も限られている」と日本の防諜体制の弱さを指摘した。

日本の捜査[編集]

警察は1983年3月下旬に警察庁警備局外事課と警視庁公安部外事第一課から2人の係官を渡米させ、極秘裏にレフチェンコの事情聴取を行なった。また、エージェントとされた人物からの聴取を進めるなど事実調査を行なった。警察庁は同年5月23日、「レフチェンコが直接接触していたエージェントは国会議員を含む11人にのぼったが、公訴時効の壁や物的証拠が乏しいなどから捜査の端緒が得られず、刑事事件として立件することは無理」との調査結果を発表。「11人のエージェントにはリアル・エージェントはおらず、せいぜい『信頼すべき人物』以下で、これらの人たちから国益に反する情報が漏れた事実はなかった」と結論付けるとともに、捜査を打ち切った。しかし、証言内容については「信憑性が高い」との判断を下した。

秘密公電漏洩という重大な疑惑をもたれた外務省は「ナザール」「レンゴー」と呼ばれる人物の特定など独自の調査を行なったが、同年5月末までに「機密漏洩の事実はない」との結論に達した。

ソ連の対応[編集]

ソ連の法廷は1981年にレフチェンコを「売国者、嘘つき」と徹底的に非難した他、ソ連共産党国際部日本課長のイワン・コワレンコはその著書内でレフチェンコを「精神的に問題がある嘘つき」と非難した。

さらにKGBエージェントのスヴェトラーナ(Svetlana Ogorodnikov)とニコライ(Nikolai Ogorodnikov)はアメリカでレフチェンコを探し出そうとしたが、これらの試みは「リチャード・ミラー・スパイ事件(Richard Miller spy case)」で露見することとなった。

下記は元ニュース

共謀罪」法案、衆院通過 自公維の賛成多数

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2017年05月23日 16:28 朝日新聞デジタル

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朝日新聞デジタル

写真「共謀罪」の趣旨を含む組織的犯罪処罰法改正案が衆院本会議で賛成多数で可決され、起立して一礼する金田勝年法相=23日午後4時22分、飯塚晋一撮影

共謀罪」の趣旨を含む組織的犯罪処罰法改正案が衆院本会議で賛成多数で可決され、起立して一礼する金田勝年法相=23日午後4時22分、飯塚晋一撮影

 犯罪を計画段階から処罰する「共謀罪」の趣旨を含む組織的犯罪処罰法の改正案が23日、衆院本会議で自民、公明、日本維新の会などの賛成多数で可決され、衆院を通過した。政府・与党は今国会での成立を目指す考え。民進、共産など野党4党は採決に反対した。

 「共謀罪」法案は、組織的犯罪集団を対象に277の犯罪を計画し、資金調達などの準備行為を処罰する内容。犯罪を実行に移した段階から処罰する日本の刑事法の原則を大きく変えるものだ。政府はテロ対策を前面に打ち出し、国際組織犯罪防止(TOC)条約の締結には、法案の成立が必要だと訴えている。

 自公維3党は、取り調べの可視化(録音・録画)やGPS(全地球測位システム)捜査の制度化の検討を盛り込むなど法案を一部修正したが、内心の自由などを制約しかねない法案の本質部分は変わっていない。民進、共産、自由、社民の野党4党は、内心の自由を侵し、捜査権限の拡大で社会の監視が強まるなどとして法案に反対している。

朝日新聞デジタルで読む

■「共謀罪」法案、衆院通過 自公維の賛成多数

(朝日新聞デジタル - 05月23日 16:28)

今年初の ビアガーデン行ってきた。

 日中が 30℃近くまで上がっていたので、大変のどが渇きましたwww。なぜか職場の人たちと三越のビアガーデンに行くことになってしまいました。日中の気温からすればもう少し人が多いのかなと思ったのですが、席の埋まり具合は40%程度でした。

 常日頃はあまり頼まない黒ビールやハーフ&ハーフなどを楽しみ、記憶にある限り6杯ほど板いただきました。本来の時期よりも早い期間のせいか、フードは正直少し寂しい感じは否めませんでしたが、まあ、品数は十分ありますので、いろいろと楽しむことはできます。

 その後にまっすぐ帰ればよいのですが、ついついアニ酒にいってしまい、結果的に、帰宅は 23:00 を回ってしまいました。平日の息抜きにしては、少し時間を使いすぎたきらいが無きにしも非ずです。

 ちょっと、スーツが煙草くさいのが、残念なところではあります。

行くぞ!ネズミーランド

今のマンションを買う時に奥さんが引き当てた「浦安のテーマパークのペアチケット」

出来るなら透くんに楽しんで欲しいからと行く時期をギリギリまで引っ張っていて、有効期限の7月は暑いし6月は梅雨だしという消去法で5月に行くことは当初からの作戦。

今年度は奥さんの休みが金曜だから5月26日に行くつもりでいたんだけど、僕の大阪出張が入ってしまい予定変更。

週5日の出張が続けばチケットは破棄することにも覚悟したけど、何とか週3日の出張に押さえ込んで今日は奥さんが休んでも比較的迷惑のかからない日だったので僕も休みを取って予定決行。朝からネズミーランドに行くことにしました。

僕はランドに行くのは20年ぶりだから全てが新鮮です。奥さんも10年ぶりくらいで透くんはもちろん初めて。でも乗り物は透くんと一緒のものしか駄目だし鉄板のはずのイッツ・ア・スモールワールドはリニューアル工事中でNGだったからアリスのティーパーティーで喜んでくれたらずっとそれに乗っているつもり。ほかは鉄道とかバスとかの移動手段くらいのつもり。

お昼も食べられそうなものが少ないですからね、パンを軽くあげるくらいかなぁ。何で遊園地ってハンバーグやハンバーガーばかりなんだろう…。

テンションが上って万が一お昼寝しなかった場合でも最大2時までで帰ってくるつもり。今日はパークに入って雰囲気を味わって何枚か写真を撮れればOKなのです。それで喜んでくれるなら次回を考えればいいし盛り上がらなかったら小学校くらいまでは連れて行かないでしょう。さぁて往復の車の中では大人しくしててくれるかな?